こんにちは、バリ倶楽部のさすけ(@sasuke80)です。
昔から今もなおバリ島は色んな時代の色んな人を魅了しつづけ、ユニークな文化と世界観がフューチャーされています。
リゾート地としても有名なバリ島には美しい自然や寺院、綺麗な棚田と優しい人々が印象強く残ると思います。

僕は5歳からバリ島に住んでいて、バリ人同様の暮らしをしてきました。
とはいえ、長年住んでいるにもかかわらず一つ常に大きな疑問があります。
なぜ?!こんな小さな島に世界各地から人が集まり大人気なのか?
なぜ?!僕も含めてバリ島が好きになってしまうのか?
なぜ?!バリ島には特別感がにじみ出ているのか?
その謎を解き明かしたいと思い、色んな人の話を聞いたり、勉強してきたつもりです。今まで僕が知っているバリ島に関する「物」を書いてみたいと思います。皆さんの知識と異なることもあるかと思いますが、バリ島で代々伝わってきた話しなども交えています。必ずしも書籍などに基ずいている話ではないのでご了承ください。
バリ島の始まり、2世紀~
マルカンデヤ大師という人物
バリ島に一番大きな影響をもたらした人物はマルカンデヤ大師というインド出身の高祖です。マルカンデヤ大師は2世紀頃(日本では弥生時代)にアグン山の麓(現在ブサキ寺院)にきて、バリ島を「住める場所」にする為、森を開墾、集落を作り、農業方法を生みだし、始めて文明をもたらしたと言われています。それだけではなく、マルカンデヤ大師が今も続くバリヒンドゥーのコンセプトを生み出しました。また、バリ島の世界遺産になったスバックという水利システムもバリ島のお供え物の起源も全てマルカンデヤ大師がバリ島にもたらしたほんの一部の遺産。
マルカンデヤ大師がバリ島を拓いた最初の人物

バリ島に来る前にマルカンデヤ大師はジャワ島東部のラウン山に拠点を起き、バリ島には特別なエネルギーがあると悟り、そのエネルギーの中心はアグン山だとひらめいたそうです。当時のバリ島には文明は発展しておらず、住む人間はほとんどいなかった。森に覆われているアグン山の麓には魔物や妖怪が住んでいて、危ない動物の住みかでした。400人の生徒と共に来た最初の旅は大失敗に終わりました。生徒たちは謎の病気にかかり全滅状態でした。
2回目の旅は800人の生徒たちを連れてきて、バリ島を開墾する前にパンチャダトゥというお供え物を捧げました。
パンチャダトゥとは金・銀・銅・鉄・青銅などの地球の鉱物が入っていて、感謝の気持ちを込めて自然にお返しを捧げるという意味のお供え物です。

ちなみに1
マルカンデヤ大師がアグン山の麓でお供えしたパンチャダトゥがバリ島のお供え物の起源です。そしてお供えした場所が今はバリ島の総本山のブサキ寺院の起源です。バリ島総本山のブサキ寺院はマルカンデヤ大師が築いた寺院です。
マルカンデヤ大師がアグン山の麓でお供えしたパンチャダトゥがバリ島のお供え物の起源です。そしてお供えした場所が今はバリ島の総本山のブサキ寺院の起源です。バリ島総本山のブサキ寺院はマルカンデヤ大師が築いた寺院です。
ちなみに2
2世紀当時のバリ島は魔物や妖怪が多く住んでいて、人間が住めるような場所ではなかったと言われています。マルカンデヤ大師はバリ島に住んでいる魔物や妖怪を新しい地を与え、バリ島に人間が住めるような場所をつくり上げました。魔物や妖怪が与えられた地とはバリ島の離島、ペニダ島です。新しい地を与えられた魔物や妖怪が人間を邪魔しないようにコントローラーとして、ラトゥ・グデ・ダレムペッドが責任者として任されました。今現在もバリ島の人々はペニダ島のダレムペッド寺院に行き、バリ島に住ませていただき、魔物や妖怪を管理して頂いた感謝の気持ちを伝えに参ります。年に2回は魔物や妖怪そして管理しているダレムペッドにお供え物も捧げます。
2世紀当時のバリ島は魔物や妖怪が多く住んでいて、人間が住めるような場所ではなかったと言われています。マルカンデヤ大師はバリ島に住んでいる魔物や妖怪を新しい地を与え、バリ島に人間が住めるような場所をつくり上げました。魔物や妖怪が与えられた地とはバリ島の離島、ペニダ島です。新しい地を与えられた魔物や妖怪が人間を邪魔しないようにコントローラーとして、ラトゥ・グデ・ダレムペッドが責任者として任されました。今現在もバリ島の人々はペニダ島のダレムペッド寺院に行き、バリ島に住ませていただき、魔物や妖怪を管理して頂いた感謝の気持ちを伝えに参ります。年に2回は魔物や妖怪そして管理しているダレムペッドにお供え物も捧げます。
ブサキ寺院でバリ島の開墾「許可」をえられたマルカンデヤ大師はその後、少し西に移動してプアカン村(ウブドやテガラランの北側)に拠点を置きました。プアカン村の丘の上(現在サバン・ダアッ寺院)に居を構え、その丘の下に「学校」の様なもの、学び場を作りました。現在グヌンラウン・タロという寺院になっていますが、まだその痕跡があります。この場所で自然のことや神学、農業から建築学まで幅広く生徒たちに教えてたそうです。
ちなみに3
マルカンデヤ大師がジャワ島から連れてきた生徒たちは「アガ人」と呼ばれていました。「アガ人」は「選ばれし者」という意味です。
現在バリ人の原住民はバリアガと呼ばれていますが、実はアガ人からの由来です。バリアガはバリ島の原住民というよりかはマルカンデヤ大師が2世紀頃にジャワ島から連れてきた精鋭たちです。バリ島の先住民です。
マルカンデヤ大師がジャワ島から連れてきた生徒たちは「アガ人」と呼ばれていました。「アガ人」は「選ばれし者」という意味です。
現在バリ人の原住民はバリアガと呼ばれていますが、実はアガ人からの由来です。バリアガはバリ島の原住民というよりかはマルカンデヤ大師が2世紀頃にジャワ島から連れてきた精鋭たちです。バリ島の先住民です。
マルカンデヤ大師はその後ウブドまで南下し、プチャッ・パヨガン寺院やグヌンルバ寺院をたてました。
バリ島の始まりはマルカンデヤ大師の功績と言っても過言ではない、マルカンデヤ大師はバリ島の礎を築いた人物です。
PART2へ続く。。。
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